
不動点は確かに存在する、とよく思う。
時代、環境、時には自分自身が変化してもf(x)=xが成り立つxは自分の中に存在している。
自衛隊(防衛大学校)を辞めて民間人になった時そういうモノは全て失われたと思っていたし、またそうしなければならないと決めたところもあった。
防衛大学校の訓練では、富士の裾野で迷彩服を着て木や草で偽装したものだ。
形はちがうがサラリーマン時代もカモフラージュはした。ベイツ型擬態のように弱いから強いように見せかけていたという事かもしれない。
だがサラリーマンを辞めてからは一切しなくなった。周りに合わせる必要もなくなった(少なくなった)。
誰にでも「ゼッタイニカワレナイ(カワリタクナイ)トコロ」はあると思うが、オレの場合、最近は特に顕著にそして強固になった。
よくトシを取れば取るほど頑固になるジジイがいるが「ああなりたくねーな。」と以前は思っていたが、確実に今のオレもなってきているような気がしている。