
虚も貫き通せば実になる、と渡辺崋山が言った。
物語は虚実を織りなして進む。
武道においては虚実というと相手の虚を実で攻めるのが要諦だ。技によって相手を虚にすることを技の作りという。相手を虚にして初めて自分の技が掛かるのだ。しかし、相手の虚を誘おうとして実を施せば、相手はそれに気づいて実となるので、虚をもって虚を導くしかない。だからと言って自分が虚になればそこを相手は見逃さない可能性があり、その難易度は高い。
また、オレに限って言えば、脳が虚で、意識が実だ。脳は少し油断すると虚の状態になり、自分の意志に反して目まぐるしく動く。それを暴走しないように手なずけているのが意識だ。’オレ’とは’意識’だと考えている。脳はオレの重要な一部分ではあるが必要十分ではない。そう考えるとオレの中でも虚実は常に関連しあって混在し、別ではない。
八犬伝においても虚ではあるが、その虚は時を超えて多くの人の実となっている。
この作品は八犬伝を通した滝沢馬琴の人生の物語だった。