
今年は例年より開花が早く既に満開だ。オレは都内と山梨県内行ったり来たりだが、どちらも行くべき場所に櫻が咲く。特に山梨では人もあまり来ないし、十分味わう事が出来る。
どちらかと言えば暗くて長い冬。その冬の終わりに春の櫻はやってくる。
櫻は、潔いのが素晴らしい。刹那に咲き、刹那に散る。
世の中の多くは「細く長く」に価値を見出す。いつまでも地位にしがみつく老人が良い例だ。
悪戯に長く生きて何をしたいのか?
つくづく考えてしまうが、「オレはこれで十分だ」と思える時はやがて来るのだろうか?
それともそれが決められずにダラダラと生き長らえるコトになるのだろうか?
覚悟はあるつもりでいるが、バカなオレは、その時になってみないとわからない。
出来れば櫻の様に潔くありたいと思う。散る時に見苦しいのは勘弁だ。なんとしても避けたい。
「死」は「生」の結果としてやってくるので、その人の「生」そのものが「死」に顕れる。「生」と「死」は一体なのだ。決して別ではない。
そう考えると潔く生きるコトが潔く死ぬコトに繋がる。
以前のブログで、ここから先は如何に捨てるか、を書いた。
自己犠牲が最も尊いし、美しいと考えているが、、、最終場面までどうなるかはわからない。