photograph of moon

ひとつは「愛」がテーマ。バカなオレには「愛」の定義などわかるはずもないが、もしそれが相手の全てを許容するための自己犠牲だとするならフミは愛する資格を持っている。

オレはその人が高貴かどうかは自己犠牲できるかどうかで決まると思っている。

脂の乗った政治家も偽善だらけのマスコミもひたすら金を追うビジネスマンも、高学の学者や評論家も、他人に支配、指示されて喜ぶ民衆も、その意味では50歩100歩だ。自己犠牲出来るのはほんの一握りの選ばれた人だけ。

愛と呼べるかどうかはわからないが、形や程度が個々に存在するだけだと思っている。

もうひとつは「バイアス」。なんでも自分に当てはめて判断する世間。表面だけのダイバーシティは少し前からあちこちにあるが、根っこには二項対立が必ずあってそれに気づかない。曖昧な中庸的な状態が理解出来ず気持ち悪りぃからとにかく簡単に理解できる形へ当てはめようとする。

他人をホットケナイのだ。

2時間半の大作で、オレが見た映画館のその回では誰一人呼吸の音さえ立てなかった。