healthy man person people

オリンピックを楽しんでいる。

あれだけオリンピックに反対していたマスコミも連日ここぞとばかりに報道しているが、そのメンタルはどういう構造をしているのか?オレには分裂しているとしか思えない。要するに論理的に破綻しているので理解出来ない。A=B、B=CであればA=Cだが、それを「そんな事ねーだろう」というヤツとは議論しても無駄だし、理解も出来ない。(もしかしたらオレがバカなだけかもしれないが)

前置きはこれくらいにして、オリンピックはやっぱり最高だ。毎日が楽しみだ。武道をずっとやってきたので直接的勝敗がつく競技が好きだ。演技系の、要するに、自分だけで完結する競技、も勿論イイが、評価を他人に委ねなければならないところがキツイ。

柔道は最も楽しみの一つ。特に注目したのが女子78kg級の浜田尚里だ。彼女の柔道は今の柔道が柔術から柔道に変化した過程で失ったモノを内包している。総合格闘技の観点で言えば、サンボの技術が融合している。

各選手はそれぞれ道場に帰れば師範であり、守破離の離の域なので、自分の理想の型があると思う。そこにこだわりがあるので、その部分はなんとも言う資格がないが、浜田は既に、浜田流として流派の独立が出来る。(空手と違ってそれはできないか!?)

現代柔道は体制が崩れた後、寝技に至るまで何も出来ない事が多い。技の連続性が無いのだ。しかし、武術的観点では、連続性が無ければトドメを刺す事が出来ない。そういう意味で、彼女は他の師範(選手)とは明らかに一線を画していた。技が状況に応じて変化して次から次へと繰り出されるのだ。総合格闘技のノゲイラを思わせる。

柔道のルールの詳細は知らないが、足をとって良ければアキレス腱も固めるだろうし、審判が止めなければ、腕挫十字固で腕を折るだろう。まさしく必倒、必殺の技術だ。極意を極めているので瞬時に相手の何処を取れば良いのかがわかるのだと思う。

さらに言うと、、、試合に臨む際(入場の際)の姿も美しい。面構えはもちろんイイが、行き着いたモノだけが醸し出す落ち着いた静けさがある。(闘志と静逸が融合している。水月の世界を醸し出している。)

浜田の柔道であれば、ずっと見ていたい。

それにしても残念なのが、無観客試合だという事。クダラン結論を出したものだ。いちいちマスクをつけたり外したり。何を考えているのかさっぱりわからん。表彰台でも、メダルくらいかけてやれよ、ドウカシテイル!と心底思う。メダルをかける時にコロナも喜んで、活発化するとでもいうのか?

ついでに言うと、開会式の在り方も一貫性が無いし、(一つ一つのパフォーマンスの事ではない、念のため)あれならオリンピック開幕だけを宣言するだけの方が、一貫性があったのではないか?

オリンピックに政治的要素があるのは子供でもわかる。中国開催のオリンピックは今回の比ではないほど盛り上がるだろう。それを思うと悔しいが、、、優れたアスリートのパフォーマンスだけが唯一の救いだ。