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スポーツクライミングを見て感動した。

オレの専門は空手だが、空手(武道)の場合(誤解を恐れず言えば)相手(敵)を騙す事が全てだと言える。

騙す、とは上を攻撃すると見せて下を蹴るとか、真っ直ぐ突くと見せて回すとか、押すと見せて引いたり、引くと見せて押したり。

武道の勝負は「果たし合い」だ。命が果てるまでやるので果たし合いと言う。その意味で明らかにスポーツとの違いはある。

そう言うと「スポーツだって命懸けだ。」と反論されるが、スポーツは「命」自体の取り合いで無いのは明らかだ。

前置きはこのくらいにして、スポーツクライミングを見て感動を覚えたというのは、、

野中生萌、野口啓代の2人が素晴らしかったのは勿論だが、登る直前、壁を前にして競技者全員が攻略法を話していたところだ。詳細なルールは知らないが、モニターからは自由に話しているように見えた。

競技の前にどう壁を攻略するのかを話しているとすれば、敵に自分の戦略をバラすという事で、武道もしくは格闘技ではありえない。

そこに奥行きの深さと希望を見たからだ。

少し大袈裟だが、人間の将来の答えがあると思った。

GDP至上主義で他社(他者)を蹴落として自社(自分)がマウントを取る事ばかりを考えている現代社会(現代人)は限界が来ている。資本主義の限界と言ってもいい。世界中そうだが、特に日本は末期的に見える。(オレは政治、マスコミに起因するところが大きいと思っている。)

オリンピックそのものは、極限まで鍛えられたアスリート達の技の競演だ。メダルを懸けて戦う姿には夢や希望が詰まっている。金銀銅の序列は重要な要素なのは確かだが、それより大切なのは、アスリートがその場に至るまでのストーリーや精神性だ。その凝縮された結晶が競技の形になって顕れる。クライミングの、壁を前にして選手達がお互いに話したあの場面こそがまさにそれだと思う。

そして、野中と野口という2人の魅力あるアスリートが、更にその価値を高めていたとオレは思う。