trees covered by fog

「美」だけではピクチャレスクとは言えず、そこに畏怖や崇高がなければならない。

思えば、奥行きのあるモノは大体2要素以上が内在している。だから安易に「言葉にできない」のだ。言葉はモノの一面だけしか捉えられないので、言葉にした瞬間に色褪せるから。

ただの「美しさ」ならどこにでもある。そこに触れると切られるような何か言葉に出来ないモノが、見えないけど感じられるので、凄みが加わる。言葉にできないのだ。

「言葉や動作に移る前の表面張力の一刻」はいつもあるとはかぎらないし、その後、言葉にできないコトが多い。だからこそそれが輝くのだ。

そしてそれを理解して腑に落とすことができるためには、経験の積み重ねのようなモノが必須なので、どうしても「刻」の洗礼を受けなければならない。