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少林寺拳法の基本思想のひとつに「拳禅一如」がある。心身一如と同じ意味だと思っている。

乱取り(空手でいう組手)の際の心と体の理想的有り様だと思っていたが、日常の心構えの事(身体を伴った)だと最近気づいた。

武道において、気剣体の一致は技の要諦で、大概は気、剣、体を一致させることは出来ない。(常時できたらかなりのレベルだと理解している。オレはやればやるほど出来なかった。寧ろ、何も考えない若い時の方が出来たと思う。考えない強さは確実に存在する。)

日常の自分を顧みると身体はここにあるのに心は別のところにあるという状態が殆どで、先の事を考えているか、漠然とした感情に包まれている事が多い。要するに「今」この時を生きていない。

心身一如や拳禅一如はこれを言っているのではないか?

「今」やっている事に全力を尽くす、極端に言えば、この瞬間に命をかける、が生きるコツのようなモノかもしれない。

スティーブ・ジョブズが「死」が全てを救ってくれる、と言ったが、「今」だけを生きる、という事と同義だと気づく。

今この時、を大切にしたいが、オレの場合は「まあこの辺にしておこう。」と妥協との戦いになるのは明白だ。