woman sitting on floor while leaning on chair

12年前死にかけた時から「痛み」と共存して生きている。

オレの言う「痛み」とは顔面が破壊され、鎖骨と肋骨が折れた顕在的な「苦痛」の事だ。こうしている今も顔の左半分は気づくと痺れていて、鎖骨を折っているのでベンチプレスも挙がらない。

しかし、ずっと付き合っているその痛みが、不思議なもので今は、生きている、という実感になっている。手なずけたと言える。

一方、心のほうは、、、?

「心の痛み」がある事はオレにも理解出来るし、場合によってはどんなモノより価値があり、崇高だとも思う。しかしバカなオレには自身の心の痛みが感じられない。一瞬キズがつくが、少し経つと薄い皮膜に覆われて、それがやがて前より厚い皮で覆われる。

そういう意味では身体的苦痛と全く一緒で、ある意味、手なずけた、という状態になる。

「痛み」の無い心や身体はどんなに良いだろう、とも思うが、仮にそういう状態になったらおそらく、生きた、という実感が鈍り、雲を掴むような感覚に陥るような気がする。