green trees near body of water under blue sky

近頃は全てが「縁」だと思うようになった。

今の自分がここにいるのも縁だし、出会う人も、モノも、コトも全部が「縁」だ。

一見、嫌なコトやつまらんと感じコトも、実はやってみたら面白かったり充実したりする。

その時はわからないが後から振り返ると、”あそこがいちばん力が伸びたな“と思うコトも多い。

そんなのも「縁」だと考えている。

また、”来るモノ“だけじゃなく”去るモノ“についても”それで良かったんだ“と思うようにしてるし、時間がたつと不思議とそれがすんなり腑に落ちる。

「縁」は仏教に関連していると思うので仏教を勉強してみたい気持ちはあるが、どうせオレの頭では理解には程遠いと思うし、今のところ余裕がなくてできない。

一生引退するつもりもないが、仮に引退したらできるだろうか?

西遊記で孫悟空が天竺を目指す。筋斗雲でこの世の果まで行って柱に名前を書いたが、それがお釈迦様の指だった話を思い出す。結局はお釈迦様の手の内で足掻いただけなのだ。

孫悟空とは“空を悟りしモノ”という意味らしい。

「空」とは「縁」で成り立つこの世界で、実在するモノは無いコトと解釈すると、執着心も虚しく色褪せる。

いずれにしても、オレに出来る事は、今を足掻くコトだけだ。