unrecognizable woman with bloody wounds with word liar on lips

できれば嘘はつきたくないとは思うが、嘘無しでは1日だって生きられない。

嘘とは事実と異なる事を言う事だと思うが、事実を認識する時点で主観が入るので事実を事実ソノモノとして認識できる人はいないので、嘘をつかないと言ってもかなり難しい事がわかる。「自分の心に嘘はつかない」と言えば、まだなんとかなる気もするが、それも、その時点で、という注釈がつく。時間が経過すれば、その時の自分がわからない、はザラにあるからだ。

更に言うと自分の心ほど心許ないとも言える。オレはどうしたいんだ?はしょっちゅうあるし、バカだから考えれば考えるほどわからなくなるし、論理的には正しくても、オレには絶対出来ない、も山ほどある。

100%嘘、というコトも珍しいので多面的に見れば、全体的にかなり怪しくてもどんなモノにもどこかに正しい部分は必ずある。

政治家もメディアも嘘が平気だとオレは思っているが、それで通用している社会に「嘘はつくな」と言われてもなかなか順応できない。今では、全ての情報に疑問符をつけて見るようになった。

最も注意しなければならないと思うのは、聞き心地が良く、表面的には間違っていないどころか正義の代表の様に見える情報だ。情報発信元と金の流れは反射的にチェックする習性がついてしまった。

心は荒んだように感じるが、お陰で随分と自分の頭で考えるようになった。

ビジネスで学んだフレームワークは役に立つこともあるが、全く歯が立たない事も多い。経験と直感でヒューリスティックに決めた方が良かったと思うことの方が多いくらいだ。

だけど、どうしても論理的に考えてから結論を出そうとするのは、受験の時に、迷ったら最初に選んだ選択肢にマルをつけるべき、と教わって、それを信じたオレはよく考えもぜず、ドンドン直感でマルをつけて提出した答案を思い出すからだ。

とにかく今は、考えられるだけのオプションを出した後で、直感的にはどうだろう?を一段階加えて決断しているが(その時点で直感では無いが)結局のところ、やりたいようにやる、となるので、バカは死ななきゃ治らない、という言葉が浮かぶ。

どんなによく考案されたシステム(意思決定)にも限界があるのだからそれで仕方ねーなと思っている。