怪物

「音」が演出の重要な要素になっていたので聴覚が刺激され3割ほどを占有した。
視覚4、聴覚3、触覚2、臭覚と味覚が残りといった感じだ。

冒頭の消防車や雑踏の音、また見せ場のひとつである「豚」の鳴き声のような楽器の音、等。
そしてクライマックスの坂本龍一のせつなさ、悲しみ、そして希望が詰まった透明感のある音が花を添える。

「ある男」でも感じたが平野啓一郎の分人主義が浮かぶ。

人は誰でも様々な顔を持つ。シチュエーション、ポジションで違うのはもちろん、時間や体調でも違う。
そのどれもが「自分」なのは間違いないし、使い分けることで自分の存在を保つことができる。

しかし子供の場合は経験が少ないので分岐できないのだ。
一人の自分であろうとする。
そして親、先生、友達の期待に応えようとしてしまうのだ。

人は本来何ものからも自由なはず。人生は自由を得るための戦いとも言える。
自分を変える必要など全くないしありのままの自分でいいのだ。
オレはそれがわかるまで長い時間がかかった。(お前はちったー変わったほうがいいぞ、とオレを知ってるヤツは言うだろう。)

生まれた時から様々な洗脳で自分が作られているが、一旦白紙に戻して一つ一つ再構築する作業が必要だ。
自分だけの人生はそこから始まるのだ。

ラストシーンで2人の少年が光の中に飛び出していったが、2度とかえってこない今この時のこの思いは
どんな宝石よりも輝いていたんだと振り返る時が必ず来ると思った。