silhouette photo of woman against during golden hour

今までオレは自分が自由だと思って生きてきた。

何にも縛られず自由に意思決定出来ると思っていた。

しかし、自分を別な自分で見ると(他人から見る、というのとは違う、メタ認知と言える?)かなり怪しい事に気づく。以前どこかで、考えているつもりでも脳が勝手に反応している、というのを読んだ事があるが、その時は、そんなわけねーじゃん、と思っていたが、あながち否定できないことに気づく。

武道と球技(MECEになっていないが)だったら武道が好きだし、ラグビーとアイススケート(これもMECEではないが)ならラグビーが良い。理系に進んだが、好きか嫌いかで言えば文系だ。コーヒーか紅茶(MECEでなくてすみません)で言えば、断然コーヒーだし、日本酒かワインなら日本酒だ。

要するに既に答えは決まっていて反応するだけなのだ。オプションがあっても別のものを選ぶことは99%無い。

仕事においてもかなりの部分で反応で動いているのではないか?

もっと言うと人生においても、反応してるだけ、がかなりの部分を占めている気がしている。

こんな状態で一度しかない人生を後悔しないだろうか?

防衛大学校では、分刻みのスケジュールで動いた。慣れるまで随分苦労したが、慣れてしまうと自由度が低い分だけ楽だと気づく。決められたルーチンをこなせばイイので考える必要がないからだ。(反応だ。)

自由は人生で最も大切なモノだが、一面、孤独や不安と戦う必要がある。また過去の洗脳との戦いでもある。なかなか厳しいのが自由だ。もし金が腐るほどあったとしても自由度は増すかもしれないが、「完全自由」(リバタリアニズムとは無関係だ、念のため)になることは無い事が想像できる。(もし腐るほど金があったら学校でも作りたいと思うだろうなあ、わからんけど)

自分の自由を確保するために戦うのが人生だと捉えているが、見渡す限り容易にそれを手放す人達ばかりだ。国や組織に従順に、言われるままに行動する。そこに疑問を持つこともない。

考えたつもりでも実は全く考えていなくて、洗脳による反応があるだけとするなら、その人生とはどんなモノだろう?