person playing piano

他人を自分の思う様にしようと思ったら間違いだ。

サラリーマン時代、違和感が常に付き纏い苦しめられたが、その立場を離れて初めてその正体に気づく。

人は行動を合わせるから疲れるのではない。思考を誰かに合わせるのが疲れるのだ。

ましてやそれが強制的な意味合いを持つとなかなか吸収、対応が出来ない。

「こう考えるのが正しい!」「何故こう考えない?」と言われるわけだから。

まさしく洗脳だ。

組織のトップが「こう考えるべきだ。」とし、それを100%強制される、という中で生きてきた。強制とは、反すると命を取られるわけではないが、その場所(組織)にいる限り人生に強烈な打撃を与えるものだ。

ある意味で「人形」になる事を強いられる様なものだ。

またそれが社会的に間違っていないから始末に負えない。

物事には必ず二律背反的な面があって、違う角度から見ると結論が真逆になる事も多い。

要するに思考回路の違いだけだ。

どんなに我慢しても譲れない事は誰にもある。自分の人生の通奏低音のところだ。

そこを崩されたら生きていても意味が無い。何故なら自分じゃなくなるから。

今は自分で会社をやっている。オレを作り上げてきた通奏低音が崩れていない毎日は、オレにとってとても充実していて価値あるものだ。